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木曜日といままで

会議中、考えすぎて、迷いすぎて何も発言できなかった。リモートだから相手の状況わからないのに、何か発声しないといけないのに、社会人として終わっている。今の状況を言葉にすればいいだけなのに。追いつけていないとか、考えている、とかあるじゃないか。

わからないことしかない。それを楽しいと思えない。予測できるほうへ、怒られないほうへ逃げようとしている。逃げた先は何があるんだ。逃げなかったとしても何があるんだ。

相談するのも得意ではない。要件を背景から簡潔に伝えるのも得意ではない。わからないことを深追いしないでわからないまま、うわべだけ見て思い込みで進めているからなんだろうな。

ミスも多すぎる。中高でバドミントンやっていた時にも言われた。つらい、いやだ、と思ってやっていた。ちゃんと考えることをしなかった。意味の分からない基礎練習は何のためなのかとか、自分は何が苦手で何が得意なのかとか。

勉強も時間ばかり費やして、自分に合った方法を分析できていなかった。母は私が学校でいい成績をとると誇らしげだった。私のことを頭がいいと言っていた。大学受験の時は、もっと勉強していい大学に行けよと母に言われている気がした。それしかないと言われているみたいで本当に嫌だった。全部本当に母の口からきいたわけじゃない。私の思い込みかもしれない。ちゃんと話せていないのに、勝手に母のことがいやになった。

私は小学校低学年の時はお調子者で、笑ってもらうことがうれしかった。いろんな学校に転校して、いろんな人に会った。いつも6人で遊んでいたのに1人に黙って5人で遊んだら、その1人に呼び出され正座させられて怒られたことがあった。いつも無表情だったのか、感情がないロボットだといわれて、パンくずを投げつけられたりした。中学では、友達ができた。楽しかった。中学1年生の時、国語のテスト返しの時に先生から呼ばれて、先生のもとへ行く途中に、その友達と何かを話して笑った。その顔が、気に食わなかったのかもしれない。先生に胸倉をつかまれた。へらへらしてるんじゃねえよと言われた。怖かった。国語の授業をすごくまじめに受けるようになって、良い成績をとった。男の子とも仲良くなった。でも、女友達から、「○○くんのことが好きだから○○くんとはもう話さないでほしい」と言われたことがあった。女友達は同じバドミントン部の子だった。それ以外でもつらくて家でわけも言わずに泣いたことがあった。母は、私がかわいいからだよ、と言って心配そうに眺めていた。中学3年生になって、バスケ部に入った。バスケ部の子は上手だねと言ってくれた。太っている自分がコンプレックスだった。ここでも自分のことしか考えていなかった。だれも幸せにできていないし、いろんな人を傷つけた。仲のいい人はいなかった。いつも一人で家に帰った。良い点を取るために試行錯誤のない勉強ばかりしていた。高校でも、同じだった。勉強しなきゃとばかり思って焦って、いつも人から自分がどうみられるかばかり気にして、同級生のことをわかろうとできなかった。黙っているだけになって、同級性のことを知ろうとしたり、自分のことを話したりできなくなっていた。

大学に入って、バイトばかりしていた。てんやがいいよと大学で知り合った友達から聞いて、てんやにした。メニューの数も少なくて全部天丼で、楽だった。バイト先には年の近い人が多くいた。素敵な人たちで、楽しかった。モテ期だった。同級生から告白されて、友達のままがいいと断った。そのあと、その人は同じてんやでバイトしているすごくかわいい女の子と付き合っていた。わたしはその子にひどいことを言った。華奢でかわいくて、彼に大切にされていて、嫉妬していた。傷つけてしまった。最悪な言動だった。もう合わせる顔もない。

サークルにも入った。楽しかった。先輩に失礼がないように必死だった。いつも一人だった。ミスが多くて、先輩に何やってんだよちゃんとやれよと言われた。怖かった。優しくていつも楽しそうに話してくれる人たちもたくさんいて、出会えてよかった。でも集団の中で一人になることが怖くてイベントには欠席しがちになって、逃げた。

社会人になった。わからないことがたくさんあった。楽しむことができなくて、自信がなくなった。でも楽しそうにしている人と一緒に何かを作ることができるのは、幸せだった。今も自信がないけど、チームの中に入れてもらえているから、こんな私に期待してくれているから、何を言われてもがんばりたい。

てんやでのモテ期を使って今の夫と結婚した。私が情緒不安定でも、彼はずっと優しかった。不安な日も、彼のあったかい手を握ると安心した。話が上手な人だと思った。サッカーが好きで、よく一緒にサッカーを見に行く。サッカー選手のプレーを近くで見ると、本当にかっこいい。聞くとなんでも教えてくれるから、私も少しは詳しくなった。私は彼に幸せを与えられているといいな。

最近、母がたおれた。お正月に会った時は元気だったのに突然だった。たおれて意識がないと聞いた時、いつも私のことを見ていてくれた優しいお母さんが浮かんだ。何でもない日に洋服や本棚を買ってくれたり、大学受験の時に受験票を忘れてしまった時に大学まで届けに来てくれたり、ずっと家にいて自分のことばかり話すわたしに何も言わずつきあってくれたり、いつまでも彼と入籍しなかった私を心配してくれたり。私は幸せな恵まれた人生なんたと思った。涙ばかりでた。母の手術がうまくいってうれしくてずっと泣いていた父は私みたいだった。

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